- 誕生
- 1973年生まれ
サラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれる。
そして、社会は何と言っても、第一次オイルショックでトイレットペーパーを買うために並ぶ。 - 幼稚園
- 桜町聖母幼稚園。
この時代に、マザーテレサの活動を知り、私もいつか・・・と。
「いつも神様が見てくださっている。」という神父さんが繰り返した言葉も、その後の私の人生のキーワードに。
この頃のクラスメートに今も支えてもらっていることに感謝。 - 小学校 高松市立栗林小学校
- 1年生の時に母親が会社を興し、鍵っ子に。
毎日、暗くなるまで、近所の友達と駆けずりまわって遊んで怪我だらけ。
今考えると、古き良き≪地域≫が残っていた頃。
3年生からソフトボールを始める。故大橋監督には本当によく大声で叱られた。最初の選挙では、いつも一番前の席で私の演説を聞いていてくれました。
この頃、母親の親戚から戦争の時の話や、終戦時、母親たちが北朝鮮から鹿児島まで引き揚げた時の話を聞き、そんな本を好んで読んだ。戦争を繰り返さないためにどうすればよいのか、考えるように…。 - 中学校 高松市立桜町中学校
- 引き続きソフトボール部。
頭部や、目や、鼻に、ボールやバットがあたり、顔を腫らしたり、鼻血をだしたり…男の子のようでした。
部活をするために学校に行っていた、といっていいくらい。
友達もいたけれど、どこか居心地が悪かった。
集団生活が苦手。だからか、学校が嫌いな子どもたちの気持ちはよくわかる。
でも、ギブアップせずに通い続けて良かったー、と今思えているから、今、悩んでいる子どもたちにも頑張ってほしい。
夏の総体を終えた後は、気の合う友達と会うために、毎日塾に通って楽しみすぎたために、成績が下がり続ける。
小学生の時からそうであったように、戦争、政治、世界の貧困に関心が強く、そんな本ばかり読んでいました。 - 高校 香川県立高松西高等学校
- ハンドボール部に入部(ソフトボール部が無かったため)練習中に左手首を2回も骨折し、相変わらず怪我をよくしていました。
高校2年生の夏から1年間アメリカユタ州に留学。
ホストファミリーや仲間に恵まれ、本当に幸せな一年を過ごす。
文化、戦争観、宗教、といろんな価値観を肌で感じた一年でもありました。
日本に帰国し、2年生からやり直す。
友達にも恵まれたけど、でもやっぱり、どこか居心地の悪さがぬぐえずいたが、受験生になって、そんなことより、幼稚園の頃から変わらない、いつか世界の紛争や貧困に取り組みたい、という夢のために勉強、勉強??? - 大学 日本福祉大学社会福祉学部国際協力コース
- 国際協力を学びたくて、進学。
いろんなボランティアをさせてもらいました。
中でも、筋ジストロフィーという病気を抱えながらも、一人暮らしをしている女性の介護スタッフをさせてもらったことと、家族と暮らすことのできない養護施設で、週に3回、学習ボランティアをさせてもらったことで、それまで海外に関心が強かったけれど、日本国内の問題にもっと関心を持つようになる。
そして、政治の貧困が、社会保障、教育の貧困を生んでいるという思いに至り、国内の政治の世界で仕事をしたいと考え始める。そして・・・ - 立命館大学国際関係学部政治経済学科
- とにかく、政治学、そして国際関係の微妙なバランスなど、いろんな考え方を学ぶ。
自分がその気になれば、学べる環境が整っていたことに感動。
ただ、20歳のころ、拒食症を発病し、少しずつ、体重が減り始め、卒業するころには、23キロに。
大学4年生の後半は、母親や友達の介護付きで通学。





