ザ!世界仰天ニュース 2010年2月24日(水)放送内容

司会:笑福亭鶴瓶・中居正広 題名「生と死の体重23キロの美女」
ゲスト:アグネス・チャン マリアン ERICA 山崎弘也(アンタッチャブル)

――― 香川県 高松市

『岡野 しゅりこ(朱里子)』 さん(当時36歳)
笑顔がチャーミングな、高松市の美人市議。彼女は、今の外見からは想像もできない過酷な体験をしていた...
10年ほど前の彼女は、頬はコケ、やせ細った体… 体重はわずか23kg。。『拒食症』 だった…。
まさに死の淵に追いつめられていた彼女を救い出したのは… 母の愛だった。
母と娘が体験した、想像を絶する拒食症との闘い・・・

――― 1973年

香川県 高松市に生まれた朱里子さん。とっても元気な女の子だった。
父は、ある企業の高松営業所長を務めるやり手で部下の面倒見もよかった。
母は、嫌な顔ひとつせずに来客をもてなす、気さくな女性。

そんな家庭に育った朱里子さんも、常に周囲に気を遣う、気配り上手な女の子だった。
そんな朱里子さんが大好きだった母は、とてもバイタリティあふれる女性で、
朱里子さんが幼稚園の頃からずっとPTAの役員を務め、自宅の近くに、カーテンなど縫製をする会社を設立。
女社長として切り盛りしていた。

エネルギッシュで頑張り屋の母親を真似するように、朱里子さんも明るく元気。
成績も優秀で、母にとっても自慢の娘。まさに理想の親子関係だった。
一度も親を困らせることも無く、すくすくと育った彼女は・・

――― 1992年4月 18歳

名古屋の大学に進学。初めて親元を離れての生活が始まった。
その一年後… 初めて娘が帰省した時、母は衝撃を受けた。。
娘は見る影もなくやせ細っていたのだ…。 一体どうしたのだろうか?。。

朱里子さん : 『私… 学校やボランティアで忙しいやろ。。だから、ちょっと痩せたかなぁ?
お母さんも毎日忙しいから分かるやろ?』そう、くったくなく言われた。
子どもの頃からなんでも話してくれた娘…。

悩んでいるなら相談してくれるだろう…と、思っていたのだが...
大学に入った時、『46kg』あった体重は、この時、『36kg』になっていたのだ。。

やせ始めたきっかけは大学に入った直後のこと。実は朱里子さん、丸い顔が幼い頃からコンプレックスだった。
1人暮らしをきっかけに、好奇心で食事制限を始めてみた。油は一切使わないようになり…
飯は1回100gしか食べないと『ルール』を作った。。すると…

友人 : 『ねぇ… 朱里子またやせたんじゃない? 羨ましい!』
人から初めて体型を羨ましがられた…。これが嬉しくて、食事のルールはエスカレート。。
カロリーの低い物をごくわずかだけとるようになった…。これは絶対に曲げられないルールとなっていた…。

大学の休みに帰省した時も…
母 : 『朱里子 ご飯は?』 朱里子さん : 『今日は友達と食べてきたよ』
母には食べていないことをごまかし、頑なに自分で決めたルールを守った。。
やせたことで毎日が充実。

将来、政治に携わる分野で働きたいと考えるようになり、
編入試験を受け、3年から京都の大学に移った。新しい環境で生き生きとしていたが、この時彼女の体重は、『33kg』を切っていた…。

でも… 太ると他人に認められなくなる気がして食べるのは朝昼晩、わずかのご飯と、シソ1枚と梅干し1個だけ。。
自分で決めた食事の『ルール』…。
そして時折り、『食べるな… 食べるな…』 という幻聴が聞こえるまでに…。

やせこけた朱里子さんの事は、学内で知らぬ者がいないほどになり、病院で初めてこう言われた…
医師 : 『あなたは、摂食障害です。』
【 摂食障害 】つまり、拒食症や過食症などの事。。
症状は、ご飯の量をきっちり量るなど、食事の『ルール』に強いこだわりを持つ。。
と本には書かれており、自分にぴったりと当てはまる…。

朱里子さん : 『私… 拒食症なんや…』
ようやく自分が拒食症にかかっていることを理解したが、通院しようとか治そうなどとは思わなかった。
なぜなら、体重を少しでも増やしたくないから…。
そんな朱里子さんを心配していたのは、大阪に住む伯母一家。母の姉とその2人の子ども達だった。。

いとこ : 『朱里ちゃん… ちゃんと食べてんの?』 朱里子さん : 『…うん 食べとるよ』
実は、いとこ2人は看護師をしており、朱里子さんのやせ方を見て拒食症と確信した…。
母には、朱里子さんを病院に行かせることを勧めた。
そんなに深刻なのか…。

この頃、朱里子さんは休みになると海外へよく出掛け、ホームステイなどをしていた。。
母が娘の様子を知ることが出来るのは、電話の声でだけ。娘は食べていないことをひたすら隠し、
明るく元気に振る舞った…。母にだけは絶対に知られたくない…。
元気な娘の声に、母はそれ以上追及出来なかった…。
『何かあったら自分に言ってくれるはず』 そう信じていたから…。

ちょうどその頃、夫が大阪に転勤することになった。朱里子さんは大阪で父と一緒に暮らすことに。。
しかし、父は仕事で帰宅も遅く、出張も多いので、娘と食事する機会は殆どなく…
本当に食べているかどうか把握できなかった。。
この頃、朱里子さんは、1回わずか20数gのご飯しか食べないと決めていた。

『このルールは絶対だった。』

時間になったら決めた量をゆっくりと口に運ぶ。
しかしその一方で、食べる事ばかり考えるようになっていた。
他人が食べている物がやたらと気になる…。
さらには、レストランのメニューを毎日眺め続け店のメニューを暗記してしまうほど、食べ物に執着していた。
だが、実際食事を目の前にすると、食べるなんて考えられない…。少しでも体に何かが入ることが許せなかった…。

父と食事をしていても、全く手を付けない朱里子さん…
父 : 『なんで 食べんのや!?』 父が声を荒らげて叱っても、無理な事は無理だった…。
『食べたい…』 という気持ちと『食べてはいけない』 という気持ちせめぎ合いが1日中続く…
朱里子さんは眠れぬ夜を過ごす内、異常な行動に出る。
真夜中…。
台所のゴミ袋をあさってしゃぶっていた物は、父が食べた魚の骨だった…。

――― 大学4年 春

久しぶりに実家に戻って来た時、朱里子さんの体重は28kgになっていた。
とにかくちゃんと食べさせなければ…。 母は朝ご飯を作り、本当に娘が食べるか心配だったが…。
社長を務める職場を離れる訳にもいかず、帰宅して、食べた跡を見てようやく安堵した。
朱里子さん : 『ごめんな、お母さん、晩ご飯先に食べたんや』
その言葉は、幼い頃と変わらず、親の言うことをきちっと聞く良い子のまま。
しかし朱里子さんは、食べたふりをしているだけだった…。拒食症に支配され、食べることに関してはウソをつきまくった。。

でも母は、こんな状況でもウソを見抜けなかった…。それは、今まで信頼し合ってきた関係に自信があったから。。
だが、朱里子さんが高松の実家から大阪に戻った時… 駅で、心臓が悲鳴を上げる…。這う様にベンチに崩れ込んだ…。
朱里子さんは、そのまま立ち上がることが出来なくなってしまった…。

数時間後、実家の電話が鳴った…。
ようやくタクシーで部屋へ戻った朱里子さんからだった。
朱里子さん : 『私… しんどくて…』

父はこの時、出張で不在。。
母はすぐに伯母の所に行くように娘に言い、自分も急いで大阪へと向かった。

そして、大阪の姉の家には、生気を無くした娘がいた…。
いとこ : 「 朱里ちゃんこないになるまで放っとくやなんて、母親なのにどないかしてんちゃう!?」
姉 : 「 こんなことあんまり言いたくないけど…あんた朱里ちゃんのこと大事にしてけえへんかったんやなぁ!」
そんなことはない…。 愛情をこめて育てて来たつもり...
姉 : 「 ちっちゃい頃から、仕事やPTAやって、朱里ちゃん放ったらかしてばっかりで!」

確かに…。小学生の頃、仕事や会合で遅くなる事が多く、学校が終わると知人に預かってもらうことがよくあった…。
迎えは夜の9時過ぎになることもしばしば。。でも…娘の悲しそうな顔を見たことなどない…。

母はすぐに娘を病院へ連れて行った…。
医師 : 『 やっぱり入院した方がええですね  』
朱里子さん : 『 私、入院なんて絶対嫌です!』
医師は24kgを切ったら強制的に入院させると告げたが入院などしたら、体重を増やされる…。
その恐怖に怯え、朱里子さんはさらに衝撃の行動に出る…。
その後、母は拒食症の本を読みあさった。するとどの本にも、拒食症は育った環境に係わりがあると書いてある。。
やはり自分のせいなのだろうか?…。

小さい工場からコツコツ努力して事業を軌道に乗せた母にとって、仕事は生き甲斐だった…。
しかし、そのせいで『 本当に大切なモノ』 を失うかもしれない…。
母はある決断をする。母は、生き甲斐だった会社を人に任せ、大阪へと向かい、親子3人で暮らし始めた。

何か食べてほしい…。願いを込めて料理を作った。。
しかし、朱里子さんが母の料理に手を伸ばすことはなかった。
でも、食べることを強制しても、かえって何も口にしないことは分かっている。
自分で食べる気になるのをただひたすら待つしかなかった…。
やがて…。
朱里子さんはごく少量のヒジキしか口にしなくなった…。一本一本ゆっくりとしか口に運ばない…。
食べないことで、どんなに辛かったかを訴えているのか?…。娘が心に抱え続けていた悲しみはそれほど深いものだったのか?

母は毎晩、声を殺して泣いた…。
朱里子さんの体力は日に日に落ちていく。。階段の上り下りはもう1人では出来なかった。
ちょっとの段差でもすぐにつまずいて転んでしまう。
一度しゃがむと立ち上がれない為、大学の和式のトイレではドアを開けっ放しにして、母が立ち上がらせてやった。
そんな状態になっても朱里子さんは入院を拒んだ。
なぜなら、母の望む良い子になる為、大学を卒業したかったから…。

体重測定では、重りを忍ばせて、ギリギリ『24kg』…。実際は『23kg…。』
平均的な女性(50kg)の場合、内臓や骨格、血液、脳、皮膚だけで22kgあると言われている。
もう... 命の危機が迫っていた…。

そんなある日、嬉しいことが。。
卒論が完成した。大学卒業の為の論文を提出し、緊張の糸が切れたのか。。
朱里子さん : 『痛い… 骨が… 痛い…』
どんなに厚着をしても、寒さが骨にまでしみるようになっていた…。残りわずかな体力も奪い取られようとしていた…。
このままでは娘は死んでしまう…。思わずこんな言葉が口をついて出た…。
母 : 『2人でどこか暖かいところでも行こか?』 朱里子さん : 『暖かい… とこ?…』
母 : 『オーストラリアなんて、どうなん?』。。


――― オーストラリア

命の危機が迫った娘を、母は冬の日本から連れ出し、夏のオーストラリア・シドニーへ。
帰る日も決めない旅…。来る日も来る日も砂浜に座って海を見ていた。。

そんなある日、1人の女性が突然話しかけてきた…。
女性 : 「 あなた!すごくやせてるわね 拒食症じゃない? 私、いい先生知ってるから紹介してあげる 」
日本だったら断っていただろう… ところがこの時は、素直に…
朱里子さん : 『Yes Please(うん、お願い)』 こう、言えた。。

紹介された精神科医は、『アンソニー バレル』アンソニーは最初に朱里子さんを真っ直ぐ見つめて…。
アンソニー : 「 よく 僕に会うまで 生きていてくれたね ありがとう 」
そう言うと、朱里子さんを優しく抱きしめた…。この先生は何かが違う… そんな気がした。

そして、英語の分からない母にも…。 娘から伝えられたのは…
朱里子さん : 『生きているうちに、朱里子を連れて来てくれてありがとうって!』
この人なら娘を救ってくれるかもしれない…。
そして、カウンセリングが始まった。

アンソニー : 『君は今までいっぱい我慢してきたんだろ
その感情を僕に対しては遠慮なく本気でぶつけてくれ君のすべてを受け止められるくらい 僕は強いから!』
とても、心強い言葉だった。

気がつくと朱里子さんは、医師にため込んでいた感情を話していた…。
朱里子さん : 『私… 食べられないの… 食べたいのに… 食べられないの…』

その話をじっくり聴くと…
アンソニー : 『いいかい、拒食症はお母さんのせいではない。お父さんのせいでも、社会のせいでもない。
もちろん朱里子、君のせいでもない。だから、犯人捜しをするのは、やめなさい。犯人捜しをするのをやめて、
あなたの将来をみんなで考えましょう。その仲間に、僕も入れてほしい。』
母子は初めて拒食症からの出口を指し示す人に出会えた気がした。

そしてこの時、朱里子さんに久しぶりにあの感覚が…。
朱里子さん : 『お母さん… お腹すいた』…。
帰り道、朱里子さんは母が買ってきたサンドウィッチに手を伸ばし
そして… 食べた。
実際に食べたのはほんの少し。でも、ようやく娘が自分の意志で食べてくれた。それが嬉しかった…。

ところが… 朱里子さん : 『ああ 私なんてことをしてもうたんやろ!食べてしもた!』
そのあと、朱里子さんは興奮して泣き叫んだ…。
アンソニー : 『いいかい朱里子、君が食べようと思えば思うほど食べたくないって気持ちも、強くなるんだ。
でも、君は もう何年もまともに食べてない。
これまでに食べそこなった食事を並べていったら、この部屋 何部屋分にもなってしまうんだよ。
だから、それくらい食べても平気なんだよ。』

しかし、朱里子さんが食事に手を付けられるのは3回に1回だった。食べたい気持ちと、食べてはいけないという気持ち…。。
そのはざ間で闘っていた。
アンソニー : 『これからが本当の拒食症との闘いなんだ。今まで君は病気に侵されるままだった。闘っていなかったんだ。』

食べたら食べたで、苦しみが待っている…。 こんなに食べてはいけないという罪悪感…。
食べてしまったことへの自己嫌悪…。 すぐに吐き出したいという衝動に襲われる…。でも。。
アンソニー : 『食べた物を絶対に吐き出さないでくれ。それをしたら、過食嘔吐になってしまう。泣いたって良い、叫んでも良い
吐き出すことだけはしないって僕と約束してくれ』
医師との約束を朱里子さんは必死に守った…。

吐き出したい…。
その気持ちを忘れようと暴れる。
母 : 『朱里子… 先生を信じるんよ…』
そんな娘を母は、ただ… 抱きしめた。。
アンソニー : 『いいかい朱里子、体重が増えるということはどんどん本当の君が増えていくということなんだ。
だから、安心して、食べてくれ。』

アンソニー医師に導かれ、朱里子さんはゆっくりと本当の自分を取り戻していった。
それからも、食べられずに涙を流し、食べては泣き叫んだ。

朱里子さん : 『お母さんが… お母さんが間違うた育て方をしたから私はいつもプレッシャーを感じてしか 生きられん
ようになってしもうたんや!』
やがて… 激しく母をなじるようになった。
それは長い間心にしまっていた想い…。 それが激しい怒りとなって母にぶつけられた。。

朱里子さん : 『…小学校の時!お母さん仕事やからって私をよその家に預けたやろ!どんな辛い思いしたか知っとったん!?
迷惑かけとんやないかって気が気やないのにお母さん平気で遅なったりしたやろ!』
朱里子さんにとって、他人の家に預けられることは大きな苦痛だった…。

『遠慮しなくても良い』 どこの家でも優しく気を遣ってくれるのだが…。
朱里子さん : 『(私、おかずをようけ食べ過ぎとるんと違うかなぁ…お母さん、9時に迎えに来るって言うとったのに
この家の人、もう眠いのに… 私がおるけん無理して起きとるんとちゃうんかなぁ…)』
迷惑をかけているんじゃないか?… 母が迎えに来るまで毎日不安で不安でたまらない時間を過ごしていたという。

さらに…。
朱里子さん : 『…私が 私がいじめられとったの知らんかったやろ!』
全く… 知らなかった…。
幼い朱里子さんの心を何より傷つけた出来事…。ある日突然始まった『いじめ』…
仲の良かった友達が、何故か話しもしてくれなくなった…。
理由すら分からぬまま、自分の存在さえも否定されるような思いだった…。
辛かった…。

でも… その悩みを大好きな母には隠した。母は明るく元気な良い子の朱里子が好きだった。
そう考えて、母の期待する朱里子をずっと演じ続けてきたのだった…。
そんな苦しさをずっと抱えていたのか… それに全く気付いてやれなかったなんて…。
朱里子さん : 『…ずっと言いたかったのに!お母さん聞いてくれそうになかったけん我慢しとったんよ!!』
母は、何度も何度も謝って。。 娘を抱きしめることしかできなかった…。

――― 美しき世界

異国の地で暮らした8ヶ月… 母と娘は新しい親子関係を築き始めていた。
日本に帰ってからも娘は母をなじり続け母はそれに耐え続けた。
2人ともたくさんの涙を流し… 互いに傷つき…。。

2年の歳月をかけ、朱里子さんは『36kg』まで体重を戻していった。
その後、養護施設でボランティアを経て、" 人の為に働きたい "と考えるようになり2007年4月、大きな決断をする。
高松市議選挙に立候補したのだ。
知名度は殆ど無かったが、拒食症の過去も隠さず『優しくなれる街づくり』 を訴えた。
そして、新人ながら見事トップ当選を果たしたのだった。
勝利に湧く人々の片隅では、涙にくれる母の姿があった…。

お母さんはこう語っています。。
『もう反省しきりです。本当に…なんてバカな親なんだろう。。と思いました。
今でもそう思っています。 私が24時間一緒にいてて、小さい時に積み残したものを積み上げていこう…と。
それが治す方法でしかないような気がしたんです。』

また朱里子さんは、同じ苦しみを持つ人にこんなメッセージを送っています。。
『常にSOSを出せる誰かが近くに居てくれるんだよ。 っていうのを気付いてないかも知れないので、
そういう存在に気付いたらいいんじゃないかなと思います。』

拒食症を克服した朱里子さんは、2年前に結婚し一粒種の息子にも恵まれました。
彼女は今、生きている喜びをかみしめながら毎日を過ごしています。

ザ!世界仰天ニュース 『生と死の体重23キロの美女』(2010年 日本テレビ) より
長いことお読み頂きましてありがとうございました。