私は小さな頃から「構造的暴力」と戦いたいと思っていました。
構造的暴力というのは、ご存知のように、主に発展途上国や貧しい国に見られる貧困・飢餓・差別・抑圧などで、自分の力ではどうにもならない問題のことです。
特に貧しい国の子どもたちの力になるのが夢でした。
夢を目指す一方で学生の頃から地域の養護施設(家庭の事情で家族と一緒に生活することができない子どもたちの施設)でボランティアを続け、子どもたちと時間を共有するうちに、ある日はっきり思いました。
この日本の中にも「構造的暴力」は存在し、豊かな国の「構造的暴力」は貧しい国のそれに比べ、より複雑で根深く、固定化されていて、世間から放置され続けている、と。
特に、今から20年以上前の日本社会は、子どもの虐待や貧困には無関心でした。
私は、その頃から、どんな家庭に生まれた子どもたちでも、将来に希望が持てるよう、生きる権利を守る仕組み、育ちや学びを支える仕組み、持っている能力を伸ばし、その能力を最大限使って社会と関われる仕組みを日本に確立したい、と思うようになり、それを今も目指し続けています。
これが私の志です。
また、ご存知の方も多いことと思いますが、私は、20代のほとんどを、摂食障害、拒食症と供に過ごしました。
一時は23キロまでやせ細り、立つことも、物を飲み込むこともできない状態が続きました。
その状態にいた私が、病気を克服でき、社会に出て人の役にたつことのできる人間になりたい、と何のあてもない東京に出て、政治家の秘書として夢であった政治に関わることができるようになって、今年2010年でちょうど10年になります。
死の淵にいた私が自立できるようになるまでの数年間、医療、福祉、そして、何より多くの方々の善意に助けていただき、そして、社会に出てからこれまでの10年間、もっと、多くの方々のお支えをいただき、今の私があります。
その事に何より深く感謝をし、そして、政治を通して、お役に立つことで恩がえしをしたいと心から思っています。
何か困ったとき、悩んだとき、元気になりたいとき
私、おかのしゅりこを思い出していただける、そんな人間・政治家でありたいと思っています。高松市議会議員 岡野朱里子





